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法律コラム

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「真の紛争解決をめざす」とは

第1に、「対症療法はやらない」ということです。

対症療法とは、医療にたとえると、痛ければ痛み止め、熱が出れば解熱剤、高血圧には血圧降下剤、といった類のものです。たしかに、目先の症状はなくなり治ったかのように見えますが、病気自体は治っておらず、むりやり症状を抑えたため、内向化して逆に本来の病気をこじらせ長期化させる結果となることが多いものです。

やはり、まずどんな病気からその症状が出ているのかを的確に見極め、その病気自体を治すための治療に取り組むのが正しい治療法だと言えます。目先の症状緩和はその後のこと。
紛争解決の方法もこれと全く同じ考え方ができます。奪われたから奪い返す、侵害されたから損害賠償請求する、約束を守らないから強制執行する、というように目先の状況のみに対応して法的手段を繰り出していれば、弁護士の仕事はどんどん増えますが、当事者の抱える紛争自体はどんどん拡大し、深刻化していくということになりがちです。

たいがい紛争というものは、深い背景を持っていることが多いもの、その背景までよく理解し、紛争を根本から解決するためにはどうしたらいいのか、しっかり考えてから、必要な手を打つということです。また、当事者本人が本当は何を望んでいるのかを、じっくりと話を聞く中でつかんでいきます。興奮と混乱の渦中にある当事者本人は、相手への当面の怒りの感情などで、本当は何を実現してほしいのか、自分のことばで表現できないことがしばしばです。

人間関係を修復したいのか、逆にきれいさっぱり関係を断ちたいのか、相応のお金を取ってほしいのか、本心をしっかり把握して方針を立てるよう常に心がけながら進めていくことが必要です。

第2に、「裁判が最良」という考え方はしないということです。

弁護士は法的訓練を受けているため、相談を受けるとすぐに頭の中で法的構成に組立てなおし、その結果どんな法的手続に持ち込めばいいかという発想をするため、とかく裁判が最もよい手段という考えに行きやすいのです。ちょうど腕に自信のあるお医者さんが、すぐに手術という考え方をしやすいのと同様です。

しかし、紛争解決の方法は裁判手続だけでなく、円満紛争解決という方法もあるのです。
弁護士にとって本来、裁判と円満解決とは車の両輪なのです。円満解決の技法を持っているから裁判をより有利に生かすことができ、またいつでも裁判に持込むことができるからこそ、より迫力をもって円満解決の方向を進めることができるのです。

それに、裁判による解決にはいろいろな問題がつきまといます。
裁判しか頭にない弁護士は、紛争解決の専門家としては心もとない片輪走行の車のようなものかも知れません。

現実の紛争解決にあたっては、常に円満解決に持ち込める可能性をギリギリまで検討しつつ両輪思考で進めるという姿勢が大切だと考えています。

第3に、「世の中のこと、法律問題は10分の1以下だ。」と考えておくと言うことです。

弁護士は法律家ですから、紛争事案を持込まれたら、上述のように、すぐに法律構成的に分析し、法律構成に入らないものは簡単に切り捨ててしまう、という性向をどうしても持っています。
しかし、世の中の出来事は、法律問題である前に、まず社会関係であり人間関係であり、経済問題であり、なによりも感情問題なのです。

とくに、感情問題だからこそ現実の紛争になっているのです。感情問題さえなければ、取引や調整でたいがい解決してしまうのです。
そして、感情問題というものは様々の背景事情や様々の人間関係や経緯から生じているもので、単なる法的構成などの俎上に乗せられるようなものではありません。
そのようなものを簡単に切り捨て、法的構成の俎上に乗ったものだけを扱っていたのでは、とうてい真の紛争解決にはなりません。

10分の9以上を占める法的でない現実的要素もすべて把握し、大事に扱ってはじめて真の紛争解決へと導くことができます。
この「法的でない現実的要素」を把握し理解できるようになるには、日頃からの幅広い基礎素養が求められます。世の中の動き、人の心の奥にあるもの、心理、欲求、様々な社会の実態、家族、中小企業、諸業界、そのような社会実態について、普段から関心を持ち、知見を拡げておく日常の努力が欠かせません。

また、相談者が持込む知らない世界のことについて、偏見や予断を排して、すぐ法的立場から批判したりせず、謙虚にありのままに話を聞くという態度が極めて大切です。そして、よりよい社会とはどのようなものかについてしっかりした考えを持っていることも必要です。
「真の紛争解決をめざす」ということは常日頃からこのような研鑚が求められると思います。

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円満紛争解決学を開発する

裁判はハムラビ法典以来約5000年の歴史の中で、実に精緻に形成されてきた紛争処理の手続です。しかし、それはあくまで王様すなわち権力者による上からの紛争処理として形成されてきたものであって、当事者にとっての紛争の真の解決を目的としているものではありません。人類はそろそろこのようなお上による処理にすがるのではなく、自分自身の力によって自分の紛争を自分のために解決する方法をつくり出してもよいのではないでしょうか。

もちろん国によって共通の社会的な基準を決めてもらわなければならない問題や、国家権力による強制でなければ決着をつけられない当事者もいますから、裁判をなくすことはできません。そして法律家、弁護士はもともとそのための裁判手続の専門家であります。しかし、市民生活の中で生ずる紛争の大半は当事者間での正しい話合いができれば自主的に解決することができるものであります。自主的な解決は、裁判による上からの処断と異なり、双方に解決の満足をもたらし、社会生活への自信と勇気を生み出し、将来のよりよい人間関係形成に寄与する、質の高い解決とすることができます。

imageところで、当事者間の円満紛争解決といえばこれまで、まあまあ主義とか、なれ合いとか、泣き寝入りとか、長い物には巻かれろとか、示談強要などといったマイナスイメージで見られることが多かったと思います。また、依頼者(クライアント)から見ても、話し合い解決は裁判に較べて一段レベルの低いものと考える傾向があり、そのため弁護士にとっても裁判のほうが高い報酬がもらえるので、安易に裁判申立を選択するという傾向があります。

たしかに、当事者間における自主的な解決・円満紛争解決をする為には、裁判とは全く異なる独自の困難さがあり、それを忍耐強く乗越えて見事に解決に持ち込んでも、外部からはその素晴らしさが見え難く、その労苦がなかなか十分に評価されにくいという面があります。
そのことに加え、弁護士はもともと裁判で形成された理論と技法を主に学んでいるため、このような独自の困難を乗り越えるための系統的な理論も技法も開発されておらず、それを学ぶ機会がありませんでした。

しかし、そのような困難を乗り越え、本当に当事者双方が納得できる真の解決、円満解決が実現できた時の喜びは、前述のとおり、当事者に人生への自信と勇気をもたらすばかりでなく、真に民主的な人間関係の形成に役立ち、そのことを通じてよりよい社会形成に貢献し得るものとなります。もちろん、このような解決ができるためには紛争当事者双方が、このような円満解決のほうがすぐれているという信念や価値観と、理論や技法を相互に理解し共有しておく必要があります。ちょうど現在原告・被告双方の弁護士が民事訴訟法と法理論、裁判知識を共有しているために円滑な民事訴訟が運営されているのと同様にです。

ところが、いまのところ、このように相手方と共有できる円満紛争解決のための理論や技法は開発されておらず定式化されておりません。そのため、弁護士は自主的解決をするためには皆、自分の経験に基づいて自己流でやっているのが実情です。その為、経験の蓄積や定式化ができず、その技術レベルも低いままとなっており、何よりも各自自己流であるため、弁護士間ではお互いに相手のやり方に対して強い警戒心を持ちながら疑心暗鬼で進めなければならないという状況です。

これでは、せっかくすばらしい解決方法であるにもかかわらず、自信をもって依頼者にお勧めするということができません。
弁護士がお互いに共有することができる自主的解決の方法・円満紛争解決学を開発することが求められています。

これが開発され、確立されれば、弁護士は片手に裁判(国家権力による強制的処断)、もう一方の手に円満解決(当事者間による自主的解決)という二つの紛争解決手段を持つことができ、より柔軟に、より依頼者のニーズと希望に添う解決をめざすことができるようになります。

そのことは依頼者から見ても「弁護士に相談すればすぐ裁判させられる」という恐怖感から解放されるということです。そしてそれは同時に、市民がより身近に、より安心して弁護士を日常の相談相手にすることができるようになるということを意味しています。

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中小企業とともに歩む

中小企業の経営者ほど世の中で大変な仕事をしている人はいません。自分で商品をつくり、お客をつくり、社員を育て、経理をわかり、経営計画を立て、経営理念を打ち出していく。クレームに対応し、社員の不祥事を処理し、家族の不満やトラブルも一身に背負う。これらをすべて一人で行なうため多忙なうえ、様々な勉強をしなければならない。潰れれば社員、家族、顧客、関与先など大勢に迷惑をかける為責任も重い。

一方、企業は法人であり、取引も雇用も組織もすべて法でできている。
ところが、日本の法律はおおむね大企業や欧米の基準に合わせてつくられているので、日本の中小企業とは相性がよくないことが多い。その為、お役所や裁判官、そして弁護士もともすると中小企業は法を守らないという偏見を持ちやすい。中小企業の側もそのような法はうまくかいくぐるしかないと考えがちです。

たとえば、中小企業の様々の複雑な雇用実態や就労形態に法が対応していないため、どうしても労働基準法不適合の雇用が生じてしまう。また、仕事の受注などもかなり大口の取引でさえ電話一本で受けてしまうことが多いため、きちんとした契約書がつくられていないことが多い。その上、取引内容自体こまかく複雑で個性的なものが多い。

また、株主総会や取締役会などといった会社法上決められた手続も同族会社などではどうしても形式だけのものになってしまう。さらに、銀行借入れについて役員が個人連帯保証をするとか、経営者交代時において事業承継問題が生じるなど、中小企業でなければないような問題もいろいろあります。

このような中小企業なるがゆえの問題については、これまで法律家が正面から取組み研究したということがありません。そのため裁判になれば、中小企業の実態など無視されて、大企業の裁判で形成された判例法理論がそのまま適用されます。そのためどうしても中小企業は法の世界では不利になり、納得しがたい結論を押し付けられることとなってしまいます。

大企業は自社で法務部を持ち顧問弁護士も必ず持っているのに較べ、中小企業の経営者は法律を敬遠し、弁護士にもよほどトラブらなければ相談にも行かず、自己流のやり方ですませているため、ますます裁判所や監督官庁からは冷たい目で見られるという悪循環になってしまいます。これでは、経営をよくしていく上で、つまらない障害を増やすばかりです。

しかし、中小企業とそこで働く人たちは数の上からも(日本の企業数で99.7%、人員数で約80%を占める)、経済活動の実態からも日本社会の中心的存在となっており、日本の社会と経済の基盤を形成しているのです。

日本をいい国にし、いい社会をつくっていくためには、中小企業が正々堂々とまっとうに経営していけるよう、法の分野でも日本の中小企業の実態に適した法の運用、法の改善に努め、日本社会が本来持っているよい面を生かせるための努力をしていくことが求められています。

これからの日本を生み出すための新しい芽は、必ず中小企業の中から生れ出てくるのです。今の大企業も初めは皆中小企業だったのです。
中小企業とともに歩み、中小企業経営者の心を知り、その立場に立って苦楽を共にしていける法律家、中小企業経営者の真の守り手として相談にのれる法律事務所となることを目指しています。

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